当社は設計、施工を主体としており、ネオン管製作は外注としております。
私とネオンの出会いは昭和41年からです。 当時入社したばかりで、毎年12月近くなると、車のディーラーの屋上にネオン塔工事、温泉ホテルの壁面ネオン文字を施工した事を思い出します。
北海道の冬は大変厳しく、マイナス25度から30度でした。ネオン管を着管する時は素手で取り扱う為、指先の感覚がなくなり、何度も息を吹きかけながら、それでも外での作業は1日4時間から5時間程度しか出来なかったと思います。丸太足場の上で何度もネオン管を壊し、会社には随分と迷惑をかけました。
昭和60年頃には郊外での遊戯場建築が盛んになり、当社もネオン工事が増えて潤いましたが、ネオン管と資材確保にあたり協力業者の方々には色々なところで大変ご協力を頂きました。
平成12年、北海道屋外広告物の条例が改正され、(自立塔20M以下、ロードサイン、その他等)業界としまして30%前後が仕事になんらかの影響を及ぼしました。
私も長年ネオン工事に携わって来ました。その間お客様始め、協力業者、仲間との出会いで多くのことを学び、多くのご指導を頂いて来ました。感謝の心でいっぱいです。
平成8年に初めて海外7日間の社内研修を行い、ロスアンジェルス、ラスベガスへと行ってきました。見るもの総てがスケールの大きさ、デザインの奇抜さ、企画の面白さに目を奪われ、楽しく、ネオンサインに対し新たに夢と意欲を掻き立てられて来ました。
日本全国、特に北海道の道東には厳しい受注の減少が押し寄せております。それだけに、インクジェット加工・シートフィルム加工・LEDサイン等々新しい工法が出ておりますが、前述致しましたように、ラスベガスの夢のようなネオンでなければ表現の出来ない要素が沢山あります。
常に人と人との出会いを大切に、アフターケアをしっかりと行い、地域に根ざした、信頼の持たれるネオンサインの会社であり続けたいと、努力してまいります。
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