ネオン前線北上中

 Vol.65
 腕自慢・ワザ自慢 65 
営業
三好晟夫さん
四国支部 (有)中央ネオン
三好晟夫さん のっけから「ゴメンネ、僕は讃岐弁丸出しじゃけん」と、弾むようなテンポで三好晟夫さん。「僕は営業がとにかく大好きです」と、楽しそうな声です。
――最初から営業畑ですか?

 高校生の時にアルバイトしたのがネオン会社でした。車で四国中を回れると思ったんですが、ネオン場の方に回されて、教えてもらいながら管曲げを3年。現場2年。それから営業。ようするにそのままその会社に入ったんですわ。それからずっとネオン、看板一筋です。
――製作も現場のことも分かっていると営業は強いですね。
 以前の会社の社長の方針で、他の仕事も経験しなければ営業はできん、ということです。その社長に営業はあらゆる事を覚えなければいけないと、将棋から碁、競輪・・・と遊びは全部やったもんです。どんなお客さんとも楽しく話が出来るように。それが財産だと思いますね。
――会社の皆さんにも奨励を?
 うちは自由奔放にやってます。自分はこうだったけれどと話はしますが、良い悪いは本人が決めることです。
 独立、創業してそろそろ20年になるという三好さん。「あくまでネオン、看板にこだわって、これからもこの道一筋でいきますよ」

 

 う・ち・の・会・杜 65 
関西支部 (有)ヒメジネオン
徳岡智治さん

徳岡智治さん  (有)ヒメジネオンは岩佐好次さんが設立、今年で50周年を迎えます。3代目の現社長の徳岡智治さんは先々代の娘婿にあたります。
 「昭和51年に当社に入りました。それまではミサワホームの営業にいました。全くの畑違いの職種に不安はありましたが、面白そうだなと思いました」
 その頃からパチンコ業界は『フィーバー』人気で日本全国が活況を帯び、次から次とネオンサインの受注が相次いだ時代。ヒメジネオンもまさに夜を徹しての作業が続きました。
 現在は380坪の敷地に新工場を設立、大きな看板もそのままレッカー車で吊り上げられ、現場作業が軽減でき、作業効率が大幅に上がりました。
 以前から代理店経由の受注が多く、早朝、深夜の工事や多少の無理な注文も厭わず、自社工場で全て製作することでコストダウンを図ります。
 ベテラン揃いの社員は5名。「汚れる仕事が多いですが、点灯の喜びはなにものにも代え難い、作る楽しみです」
 「若い頃徹底的に叩き込まれたミサワイズムで、何も怖いものがなくなった」と、闊達に語る徳岡社長です。

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