■ 一発勝負のイベントで絶体絶命のピンチ
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「音と光のパレード」これは毎年10月の第2金曜日、東京銀座の「中央通り」と「外堀通り」この日本一の目抜き通りをぐるりと一周、延長約2.5キロを夕方から3時間全面通行止めにして行われるもの。1週間にわたり開催される「大銀座まつり」のクライマックスで一番の目玉となるイベントです。
残念ながら平成11年の第32回を最後に終了してしまいましたが、銀座の百貨店、銀座に本社を構える企業などの「フロート」(花自動車)10数台が参加し沿道をうめる観客は百数十万人という規模でした。警視庁、築地警察署、京橋消防署が他の署の応援を得て数千人で交通規制、警備にあたりました。 このパレード、たった一度3時間の一発勝負です。このフロートにスポンサーが投入する費用は、大型の屋上ネオン塔並みの大変なものでした。 当社では、パレードで一番人気のフロート製作を毎年担当しておりました。ここでお話しする事件は10年ほど前に起きたことです。 本番2週間前に11tトラックの艤装を全て取り払ったシャーシー(裸の骨組みの上にメーターとハンドルと椅子ひとつ)が、私どもの工場にやって来たところから仕事は始まります。 鉄骨と木工で全体の造形をして装飾と電気配線を進めます。50kwの発電機2台を搭載し、1万個を超えるサイン球と数百mのネオンを調光します。大型のコンサート用スピーカー10数基を内蔵させて音楽を流し、ステージ上では5〜10名のモデルが踊ります。 フロートの大きさは、幅4m全長15m高さ6m。銀座までの回送中は歩道橋をくぐるため、装飾は油圧で4.5mまで下がる仕組みになっています。 パレードの進行ペースは分単位の綿密なプログラムによって構成されています。そして私たちのフロートが銀座4丁目の交差点に差し掛かったときに各局のニュースで生中継されるように番組も構成され中継車がスタンバイします。製作と並行して、スポンサー側ではモデルオーディション、音楽の制作、衣装、振り付け、リハーサルなどが進められます。本番前夜には完成したフロートの照明を全点し、ステージ上で最後のリハーサルが行われるのです。 さて本番前日の深夜になって、主催者側からフロートの運転手が来社。エンジンをかけ工場を出た途端、思いがけない事態が発生したのです。花自動車がそのまま道路を突っ切り向かい側のガードレールに激突してしまったのです。排気ブレーキの不良か操作ミスだったと思われます。一瞬頭の中が真っ白になりました。フロートの前部は大破し、ネオン管や数百のサイン球が粉々。ラジエーターは潰れて、もうもうと白煙を上げています。 頭をよぎったのは「パレードは終わりだ」との思いでした。明日の晩、百数十万の観衆が待つ銀座のパレードに大きな穴をあける・・・「当社が請けたのは装飾であって、走らせるのは当社じゃない」「でも、そんなことスポンサー社内でも担当者しか知らないぞ」「じゃあ、うちの信用はどうなるんだ」そんな雑念が一瞬浮かんだのですが、我に帰った私たちは互いに声を掛け合いました。「絶対あきらめるな!!もう一度造ろう」ここからは火事場の力持ち、徹夜作業から解放されるはずだった20数人の仲間達は更に一晩の徹夜を敢行し、なんと翌日の午後には大破した前部を再生しあげたのでした。主催者側も頑張り、見事にラジエーターを新しいものに交換してくれました。 しかし問題はこれからです。こんなサイズのフロートが昼日中の国道を到底走れません。本番前夜の明け方にひっそりと銀座へ回送することは特別なお許しによるものだったようなのです。 今、出発すればスタートにギリギリ間に合う。と言っても道は既に車で一杯です。一山超えたかと思ったものの絶体絶命のピンチは変わらないのです。もう私たちにできることは全てやりました。完成したフロートが日の目を見ずに葬られることになったら私たちはいったい何を頑張ってきたのだろう。 いよいよ諦めるしかないのかと一同無言の状態であったそのとき、救いの報せが入りました。なんと警察が一肌脱いでくれたのです。混みあう午後の国道をパトカー先導で、3車線のうち2車線を占領して銀座に向かったのです。とんでもないものがノロノロ走っている状況に周囲の車はみな呆然とし怒ることも無く、残る1車線を使って追い越していきました。 そして無事に銀座へ到着、そのままパレードに参加するという綱渡りをこなしたのでした。それからの3時間は沿道の大観衆からの歓声に包まれ天の恵とも思える幸運にただただ感激したのです。 この一件は通常のサイン工事では縁の無い特殊なケースだと思いますが、私たち社員一同が「どんなときにも絶対あきらめない」という気持ちを持つことができたのは得がたい経験でした。
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