■ 可笑しくて
やがて悲しき…広告規制 ■ |
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戦後から昭和40年代後半にかけて、渋谷の道玄坂の坂下一帯は恋文横町と呼ばれていた。進駐軍のGIを恋人に持つ女性たちのラブレターを代筆していた店があったというのが恋文横町と呼ばれる由縁である。当時は小さい商店がところ狭しと並んでいたが、1979年にファッションコミュニティ渋谷109が建築されたのをきっかけに、この一帯は現在のような近代的な若者の街としてドラマチックに変容した。 いうまでもなく109とはトウキュウすなわち東急を意味するが、恋文横町の地権者と東急電鉄が当時の組合施工法に基づいて行った再開発で、時の東急グループの総裁、五島昇氏がこのビルを渋谷の顔、ランドマークとしたいと考え、大きな樅木をイメージして設計するようにという注文を設計事務所に出され、その結果いまのビルが完成したそうである。 現在、このビルは株式会社TMD(東急マーチャンダイジング・デベロップメント)に一括して賃貸され、TMDが各テナントに転貸して管理運営している。 私達が109を初めて施工したのは1984年だった。この時代はアメリカを中心にスーパーグラフィックが多彩な展開をみせ始めていた時である。もともとグラフィックは印刷物としてのサイズのものをさしていたが、スーパーグラフィックはそれが建物のサイズにまで拡大され、私達の環境に大きく関わってきたのである。そんな時代の風潮は「手軽に凹凸粗面に貼ることが出来る」という粘着シートを発売していた弊社にとって大いに追い風となっていた。 そんな時この109の壁面に大きな樅木をクリスマスディスプレイとして貼りたいというのである。これはまさしく五島会長が描いていた109のイメージである。このビルのシリンダーの部分をすっぽり被うように貼ると全部で600uになる。渋谷に赤とグリーンで彩られた樅木が出現したときは人々はびっくりはしたけれど違反広告だと騒ぐ人もなくむしろポップなディスプレイとして多くのマスコミに取り上げられた。当時も屋外広告規制はあるにはあったがまだまだまだおおらかな時代だったのである。 この施工を皮切りに109は、デザインにおいても施工技術においてもさまざまな試みと冒険で、人々に話題性にあふれたディスプレイを提供してきた。第一回東京国際映画祭の巨大なチャップリンもインパクトがあったが、第二回映画祭の天地27メートルのマリリンモンローを貼ったときは道行く人は唖然として立ち止まった。楽しい仕事だった。この施工はジャパンタイムズをはじめ多くの新聞雑誌に紹介された。極めつけはアラーキーこと荒木経惟氏の写真集「東京物語」(1989年平凡社)の表紙を飾ったのだ。このことはある意味で渋谷の風物として認知されたといってもいいだろう。 このあとも季節毎に109の壁面をキャンバスにしてのびのびとスーパーグラフィカルなディスプレイを施工することができたが、時代はだんだん屋外広告の規制へと傾いていく。その結果、その表現は徐々に小さくポスター化して100uという檻の中に閉じこめられることになる。つまりはワイド8.3メートル×12メートルの大型ポスターを貼るという仕事に置き換えられてしまったのである。 私は屋外広告を野放しにしていいというアウトローではないが、個人的には、高いモラルに裏付けられた教養とユーモアにあふれたデザイナーの作品と、あらかじめ指定された特定商業地区のサインに対しては規制にとらわれない自由な表現が許されてもいいのではないかと思っている。 ニューヨークのタイムズスクエアにみるジェット機のディスプレイ、ロスアンゼルスやサンフランシスコに見られるミューラルアート、壁面いっぱいの機知に富んだトロンプルイユ(だまし絵)、ビル全体を被わんばかりのラスベガスのネオンサイン、これらはすべて元気な商業活動の証である。 最近は109の表現にはその元気さがかけてきたようである。これは渋谷の街が大人の街に変わろうとしていることと関係があるかどうかはわからないが、少なくとも活力を失った日本経済を映し出しているような気がする。 昨年、サッカーのワールドカップが日本と韓国で開催された。その時109でもたくさんのキャラクターを使ってサッカー関連の広告が掲出されたが、可笑しくてやがて悲しい・・・そんな出来事があった。それはアディダスのPRで松田直樹選手を起用して日本チームの公式ユニフォームを発表するという広告だった。最初、松田選手の上半身裸の写真を貼り、1週間後に彼がユニフォームを着た写真に貼り替えるという計画であったが、掲出して二、三日後、当局から彼のおへそが見えているのがいかん!というチェックがはいった。隠せというのである。私たちは最初、冗談かと思ったが、彼らは真剣なのである。ともかくお上のいうことには逆らえないと、急遽おへそだけを一時的に隠し、その後日本代表のユニフォーム発表と同時に写真を貼り替えたのであるが、未だにどうしてだめなのかがよくわからない。
「平成の裕次郎」というオロナミンCの広告があった。若き日のさっそうとした石原裕次郎が長い足を開いてすくっと立っている写真である。当局の計算通りだとどうも100m2を超えているようだ。いや裕次郎の長い股下の空間は計算に入っていないから大丈夫だとか、同業者のあいだではそんな話がされていたそうである。そんな話はきりがない。笑い飛ばしたいが、冗談ではない。 いまや109の広告は渋谷の、いや東京の風物詩として欠かせないものになってきている。それは優秀なデザイナーが、自由にのびのびとした表現を重ねてきた結果だと思う。しかし、このままでいくと規制が広告をだんだんつまらなくしていく傾向にあることは否定できない。実に悲しいことである。そんな例は日本全国のあちこちにもあるだろう。なんとかならないのかと真剣に考える時がきていると思うのはわたしだけだろうか? |