■ @第4回グローバルサインフォーラム
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2003年のISA第57回国際サインエキスポは、イラク戦争真最中の開催となり、全ネ協視察団の出発が危ぶまれましたが、予定通り4月3日(木)から5日(土)まで、新装成った米国ネバダ州ラスベガスのマンダレイ・ベイ・ホテル・コンベンションセンターで、華々しく開催され、全ネ協から廣邊裕二会長を団長とする15名の代表団が参加しました。 今回のエキスポ参加者数は16,903人、世界33ヵ国から541企業が出展しました。展示ブース数は全部で1,340となり、2002年オーランド大会の1,304を超す史上最大のサインエキスポとなりました。 エキスポの内容につきましては、別掲諸報告をご参照いただくとして、ここでは、同時開催されたグローバルサインフォーラムの状況をご報告します。 第4回(世界サインサミット改め)グローバルサインフォーラム
■ 事前準備 今回初めての試みとして、ISA事務局から次の二つの資料の提出を求められた。
■ 開会 ISAジョン・ジョンソン事務局長の歓迎挨拶のあと、ISA理事で国際委員長であるニコラス・ピアース氏(英国ピアースネオン社長)が議長席に着き、出席者全員自己紹介のあと議事に入った。
■ ダークスカイ運動拡大に対する対策について 1988年、光害防止をスローガンに米国アリゾナ州ツソンで誕生したダークスカイ協会が、今や世界各地に支部を設けていろいろ活動している。この動きに対し、一国でも彼らの言い分を取り入れた法制化が実現すれば、それを契機に他の諸国でも右に倣えということになりかねず、業界として十分な情報交換と警戒が必要であるとの基本認識で、議論が行われた。 英国、チェコなどの一部でこの運動からの影響が出てきている地区があるとの報告があったほか、コロンビア、オランダ、韓国などからも意見が出された。 日本からは、この場で議論しているだけではなく、ダークスカイ運動に対抗して当業界の立場を世界に訴えるISA宣言といったものを決議しては如何と提案した。出席者一同基本的な立場については賛同したが、ドイツから、ダークスカイ運動はもともと情緒的な運動であるので、宣言の文言を余程注意しないとかえって火に油を注ぐことになりかねないとの慎重意見も出され、ISA本部が中心になり、メンバー間でEメールにより打ち合わせつつ検討してゆくこととなった。 ■ 会員相互間のISA国際教育交換プログラムについて 従業員相互交換研修を同一国内でやるよりも、お互いの競合関係がないだけにかえってやり易く、従業員へのインセンティブにもなり、実際的であるという考えで、前年のサミットでも議論された項目である。 既に、英国・米国間で実際に行われ成功しており、4月からISAホームページで具体的な手順が公開されている。 ISA会員企業の21歳から30歳までの従業員を対象とし、国境を越えた外国の同業者を訪問することで、知識を広げ、同じ作業をするにも別の方法があることを学び、それらの知識、技能を母国に持ち帰って業界発展に役立てることを狙いとしている。 具体的な条件は、別掲の通りで、ISA会員会社が積極的にこの計画を実践することを期待するといった説明がピアース委員長から説明があった。引き続いて、実際にこの計画に沿って、英国の同業者のもとで研修した米国の若い技術者マイケル・ローレンタノ氏の経験談があった。 このプロジェクトは、まず英国事業者がフランスの事業者に仕掛けたが、うまく行かなかったので、米国事業者(コネティカット州ローレンタノ・サイングループ)に話を持ちかけ、まとまったもの。英国からまずネオン管の加工作業を学ぶ研修者が訪米、終了後米国から同氏が訪英しマーケティングについて学んだとのこと。英国の研修者も米国式の合理的な曲げ加工工程を十分習得し、自分も英国流の仕事のやり方を勉強できて、両者とも大いに満足する成果があったと強調していた。 ■ 閉会 以上で会議は終了し、レセプションに移り、和やかなうちに午後6時閉会となった。なお、来年のフォーラムは2004年4月15日〜17日、オーランドで開催される第58回ISAサインエキスポ期間内に同会場で開催される予定。 ロサンゼルス ネオンアートミュージアム訪問記 4月5日(土)午後、ロサンゼルス市内ウエストオリンピック通り501番地のネオンアートミュージアムを、視察団一同で訪問した。 視察団の東京出発前日4月1日(火)、ひょっこり本部事務局を訪れたキム・コガ館長から、既に連絡が行っていたため、理事のマイケル・フレッチャー氏、受付の平出俊氏らから大歓迎を受けた。 マンションの1階を改造した博物館で、ガス・水道管などダクトがむき出しの簡素な佇まいだが、それが一種独特の雰囲気をかもし出し、陳列された総て第一級のネオン芸術を一同心行くまで堪能することができた。 |