メッセージ
 屋外広告の未来に夢を 総合報道賞が目指すもの ■
 広報委員 横山 巖
 「総合報道賞」(第22回)の贈賞式が6月6日に東京で行われた。私はこの審査員を務めているのだが詳しくは同紙をご覧頂くとして、ここでは22年間続いたこの賞の歴史と意義について紹介したい。
 この賞のルーツは、1982年の「第1回渡辺賞」である。「総合報道」「POP EYE」の創刊者である故渡辺公氏の「屋外広告業界発展のためになるものを」との遺志により「業界への提言」という論文コンクールとして始まった。この記念すべき第1回に、「屋外広告の現状とゆくえ」で第1席を受賞されたのが当NEOS編集長である小野博之氏であったことは業界でも広く知られている。
 当時の日本経済はオイルショックから立ち直りつつあったものの、屋外広告の回復は遅れ、少ないパイを奪い合う過当競争が見られた。また景観に対する認識の高まりから屋外広告規制の強化が進みだした。そのような状況下で「業界への提言」をテーマとした渡辺賞は極めて意義深いものであった。
 その後日本経済は驚異的な伸張を遂げバブル経済が始まる。その出発点であった1985年、第4回から「論文」と並行して、「感想文」の部門を新設。一般の人々が見た屋外広告を自由なテーマで募集したところ、応募数が急激に増加した。一般企業、学生、主婦層にいたるまでの認知を得るようになったのである。
 1990年の第9回から「総合報道賞」と名称を変更。論文の課題は「都市景観と屋外広告」をメインとして生活者の視点を大きく取り上げた。結果的にはこの1990年がバブル崩壊の始まりだったのだが、当時それを認識する人は無く誰もが未だ夢の中にいた。この時に環境や景観が語られたのは、何かに目覚めなくてはいけないという警鐘だったのだろうか。
 それからの日本は厳しい不況に落ち込むのだが、1995年Windows95の発売とともにパソコンの普及が進み、情報技術こそが世界を救うという夢が生まれた。論文には1997年頃からいち早く「情報技術(IT)」を取り上げたものが登場してきた。世界的なITブームが始まる直前のことであった。
 2000年の第19回、総合報道賞は同社高橋是清社長の長年の夢であった「ビジュアルデザインコンペ」として新しい一歩を踏み出した。屋外広告の夢をビジュアルで語るイベントに様変わりしたのである。同時に18回続いた論文の終結でもあった。
 本年は、特定の媒体を指定せず「新たに期待できるOOHメディア」としてのデザインコンペ一本に絞られ「感想文」も姿を消した。今回は新しい感覚による夢のあるアイデアがエントリーし「総合報道賞」がまた生まれ変わったと感じられた。
 ただ、広く一般の応募が増加した反面、屋外広告業界からの応募がめっきり減少しているのが気に懸かる。業界当事者である我々こそ意欲的に取り組まないと将来は暗いのではないか。同社も恐らくそれを危惧しているだろう。
 同紙・誌は屋外広告について単に取材と報道をするのではなく、業界の活性化や発展に寄与しようと様々な面で積極的に取り組んできた。この姿勢は創刊以来一貫しており、「総合報道賞」を22年間欠かさず実施してきたのもその現われであろう。これは創刊者の遺志を継いだ同社社長、主幹の使命感によるもので誠に敬服するものである。
 この賞はこれまで多くの人たちに屋外広告とは何かを考え続けさせてきた。そして幾度かの変遷を経て賞としての成長をしてきたが、今後も屋外広告に関わる多くの人たちにとって夢を語る貴重なステージとなることであろう。「屋外広告の未来に夢を」それが「総合報道賞」の目指しているものではないだろうか。

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