ほっとコーナー

味自慢・酒自慢 五臓六腑に染み渡るこの一本
東北支部 酒太郎
 

 ぶらりとのれんをくぐった居酒屋で旨い酒に出会った。銘柄は『飛露喜』。会津坂下町で酒を醸しているらしい。大将自慢の一本に私も心奪われた。味わいもさることながら、そのストーリーにもお酒の表情が浮かばれる。
 社長と杜氏を兼任する廣木健司さんは御歳37歳。東京の大学を卒業後、大手アルコールメーカーの営業マンとして働いておりました。実家に帰り家業を継ごうとした矢先、父が急死。右も左も分からない状況での船出となったのです。そのもがき苦しむ様子をNHKが番組として取り上げてくれました。彼自身が迷いながら苦しみながら造り上げたお酒は従来の『泉川』ではなくて自らの名前をもじり、また「喜びの露がほとばしる」という願いをこめて『飛露喜』と名付けられました。彼を応援する酒販店、消費者の後押しで『飛露喜』は見る見る内に地酒人気銘柄へと成長していったのです。大将の言う“シンデレラブランド”の意味がようやく分かった気がした。
 肝心の味わいだが…口当たりのふくよかな甘み、丸みを帯びた芳醇な味わいとスパッと切れるノド越しの良さ。決して洗練されてはいないが、どこか懐かしさを感じる。そうである、田舎のおばあちゃんがご馳走してくれるお手製の漬物のようである。画一化されない個性があり暖かみが伝わるお酒だ。聞くと“無濾過生原酒”という何やら面倒な専門用語が飛び出してきた。お酒を搾って一切何もせずに瓶詰めしたモノらしい。旅の途中で立ち寄った造り酒屋でチョロチョロと絞り立てのお酒を飲んだあの感動が蘇る。色んな味が複雑に絡み合い調和をなし『飛露喜』の味をつくり上げる。五臓六腑に染み渡るとはこの事である。
 和紙に筆文字のレッテルはお母様によるもの。ご家族の苦労がしのばれる。
 この『飛露喜』蔵元にも一本も無いという。新種が出る1月、今度は一升瓶を抱えたっぷりと堪能したいものだ。そう、肴は馬刺しに鰊の山椒漬け…、鍋もいい。良い酒との出会いに酔いしれた至福の時であった。



趣味あれこれ フナに始まりフナにかえる
関西支部(株)フジネオン 松本 優
 

 「よっしゃ きたグレ(学名メジナ)やっ!」と思わず独り言をはきながら、竿を大きくあおると、次の瞬間、体全体にあの何とも言えない手応えを感じました。穂先はきれいな円を描いて海に向かい、道糸はビューンという風を切る音を鳴らしながらピーンとはったままです。
 磯の上で何度も何度も逃れようと竿を締め込む魚とやりとりをしながら最後にタマに納めた瞬間、また「やったぁ」と呟くのであります。
 大阪の堺で育った私は、昔近くに野池や仁徳天皇などの古墳の池がたくさんあり、よくフナやコイそれから、モロコやキンタイなどの魚を釣りに行ったものです。ちょっと西へ行けば日本最古の灯台がある大浜や出島という名の海にもよく釣りに出かけました。当時はまだ砂浜がたくさん残っていて、ドンコ(ハゼ科)をよく釣りに行ったものです。
 小学校の高学年の時などは、朝早く起きて近くの野池に行き、時間ぎりぎりまで釣りをし、それから学校へ行くというような事も度々ありました。中学になるとリール竿で波止場釣りに行くようになりました。そんな釣り好きの私に初めて磯釣りをする機会がやってきたのです。
 釣りキチの義理の兄貴に連れられて、本州最南端、日本でも有名な磯釣りのメッカ、和歌山串本町の潮岬でした。岬の先端から太平洋に向かって点々と散らばる磯、時には黒潮の流れがまともに当たり、海の流れが川のごとくゴーゴーとうねりながら流れる磯場、これが潮岬です。
 私はこの日を境に磯釣りのとりこになり、時には大漁を経験し、時には坊主で悔しい思いをしながら、はや30年が経ちました。私がやってる釣りは磯釣りの中でも上物釣りで、主にグレを狙います。でも磯釣りをしていると色んな外道の魚が釣れ、これもまた楽しみの一つです。釣った魚を、家族がおいしいと言って食べる姿を見るのもまた最高です。
 こんな楽しい釣りなのですが、最近は諸事情で釣行の回数が減っています。私が所属していた釣りクラブも3年前になくなり、同行する仲間もかなり減りました。私個人も、仕事で時間に追われているうえに、ゴルフもするようになり、なかなか時間が取れず釣行が減るばかりです。でも最近は、磯が無理でも気楽にいける近場で家族と釣りを楽しんでいます。
 これから先、歳をとって磯などに行けなくなっても、その時はまた近くの野池でフナ釣りでもしようと思っています。だから今でも人に「趣味は」と聞かれると、やはり「釣りです」と答える釣り好き人間です。


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