小川禎造氏((株)ナック会長)は私の師であります。ご存知の通り、氏の知識、技術や企画デザイン等、何をとりましても申し上げるまでもなく超一流であります。そしてまた、人徳を以てダンディ。まさしく鑑であります。
私がクロード仙台の門を叩いたのは三十何年前。もっともその本当の偉大さを知るのは少し後のことでした。在籍一年足らずで、無謀にも独立開業。独立と言いますと一見格好良さそうですが、やはりいざとなると分からない事ばかり。そこで厚かましくも不義理は棚に上げ、教えを請いにお伺いして、さらにはちゃっかり道具をお借りしてしまう図々しさでありました。それでも、それらを寛大なお心で対応してくださったものでした。スタッフの皆さんも総じて明るく意欲的で、これもすべからく上司の器というものに他ならないのであります。
開業当初はいわゆるオイルショックの真っ只中、大分辛い思いをしたものでしたが、世の中落ちつくにつれ何とか食えるようになってきたあたりが特にお世話いただいた時期でありました。もっとも屋上の大きなネオン塔などは手掛けられる何ものもなく、もっぱらあの頃の大ブームだった例のピンサロ、またはビニ本など、特に前者は仕事としてはとても面白い。「店の名称はこうだから、それに似合ったネオンを創れ」とこれだけで、どうせ看板代などはなんぼかかろうと一晩で稼ぐんだからと豪語していた担当者の嬉しそうな様子が今でも思い出されます。
ところが我々の造った“作品”は結構評判がよく(もっともその陰には、このネオン管はこう、リレーのパターンは…等々、師のご指導があったればこそなのですが)他から問い合わせがあったり紹介してもらったりと、お陰様で大分仕事をさせていただいたものでした。今思うと、ですが、もっと請求額を上げておけば…とか、その度に(いい格好して)みんなを引き連れて出かけていなければ…等と小心者の後悔譚。所詮お人好しに金儲けは無理なのであります。
どちらかといえば我が社は、いわゆるネオン屋ではなく、看板屋です。今でもそうですが、ネオン管やサイン球を扱う仕事はほんの一割程度。ほとんどはパネル看板、内照看板や野立看板のたぐいです。こんな様子ですので、ネオン協会会員の席を汚すのは本意ではありませんでしたが、業界では尊敬するお一人でもあります(株)東北電照の柿沼社長(前理事長)の強いお勧めもあり、入会させていただきました。また、当時の支部長でありました昭和電装(株)、田辺社長のご指導もあり、お陰様でネオン工事士免許2人、ネオン工事資格者も5人とお世話になりました。かなりレベルの高い組織だと感じたものでした。そんな事もあり、指を指されますと根っからの性格も手伝い、現在このような不本意な状態になっております次第であります。
振り返ってみますともう30年。確固たる信念、理念もなく惰性で流され、ただ仕事が好きというだけでよくぞ、というのが実感です。好奇心ばかりが強く、できるのかなと思う難しそうな仕事でも、飛びついては悩み、苦しみ、後悔の連続でも、あの達成感、満足感だけでまたのめり込む、その繰り返しでした。あるいはやり続けておられる皆さんも、儲かるか儲からないかは別として、同じような思いの方もおられるのではないでしょうか。
始まった当初からどうせその日暮らしの職人人生、あれもないこれもないは覚悟の上で、ただ好きなことをやって人生を過ごしたいと考えていたものでした。そういう意味では、現在の規模は想定外で、やらずもがなの仕事もあり不満な面もありますが、贅沢といえるのかもしれません。
贅沢ついでに最近は仕事に面白味がなくなってしまってきていて、やや飽いてきているところです。何かといえばキャドだマックだプリンターだと、いわゆる筆一本腕一本といわれる部分が無くなってしまいました。工事にしても似た様なもので、密かな、ささやかな自己満足を味わえる機会が無くなった。無論良い事なのですが、寂しい事でもあります。こんな事を言うということはそれなりの年代に達したという事で、そろそろ周りから相手にされなくなるという喜べない環境になりつつあるという事でしょう。でも、あの頃のそれこそ小川師の描いた図面などはまさしく額縁が欲しくなるくらいの芸術品でした。それでもやはり今の方がよいのは間違いないのでしょう。
何やかやと言いながらも振り返ってみれば30年、こうなってくると私にはむしろ長すぎた気がしなくもないでもありませんが、この先もっとやりがいのある別な仕事がある様にはとても思えませんので、乾きつつある気力を絞り出しながら頑張っていくしかないと思っている今日この頃でございます。
学校もろくに卒業できなく、あっちこっちふっ飛んで歩いていた雲助のいい加減な私が、この素晴らしい業界に受け入れていただいた上、あつかましくもこの地の長というお役目までいただいて一丁前な顔をしていられるのも、業界の皆様の暖かいご指導ご協力と、わが師が在ったればこそと、心より感謝しているところでございます。
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