インタビュー

加藤 文氏
「電光の男」をさがせ
加藤 文氏
1964年北海道生まれ。広告制作会社勤務のかたわら、2000年「厨師流浪」(日本経済新聞社刊)で作家デビュー。「やきそば三国志」「花開富貴--横浜中華街繁盛記」「電光の男」(ともに文藝春秋刊)と執筆活動を展開。ウェッブマガジン Boiled Eggs Online(http://www.boiledeggs.com)にてエッセイを連載中。。


 「電光の男」は昨年末上梓された加藤文氏の最新作だ。帯の宣伝文句に「銀座の夜を変えた男」「気宇壮大!戦後日本を疾風怒濤のごとく駆け抜けていった男がいた」とある。戦後の、暗闇に沈んだ銀座に巨大なネオンを灯し、光のエンターテインメントを作り出した男の話だ。こんな時代だからこそ、これは読まねば!話を聞かねば!とさっそく加藤氏にインタビューをお願いした。

―― フィクションとありますが、伝説の人物が浮かびますが?
 ええ、宣弘社の小林利雄社長、現在はサン宣弘社の顧問、主人公の島寛太のアウトラインは確かに小林さんです。しかし何人もの同時代の人々が集約されています。戦後はフロンティアスピリットに溢れた時代でしたから、そういう人物には事欠かない。やはりフィクションですから…。

―― 「アカボシ製薬」はどこのことだろうとか、日本一の広告代理店「帝都広告社」というのはやっぱり電通か?とか、つい思いながら読んでしまいました。
 よく言われますが、あれは電通というわけではないんです(笑)。主人公の光と影、強さと弱さみたいなものを出したくて、そういう設定にしました。帝都広告社は島寛太の虚の部分でもあります。

―― この本を書かれた経緯は?
 学生の頃から宣弘社に潜り込んでいまして、在学中に嘱託になり、そのまま入社試験も受けないで社員になって、気がつけば長くいた…。そのころは小林社長は現役で社内の色々なところでお見かけしました。興味深い方だなとは思っていましたが、挨拶程度でじっくりお話することはなかったですね。先輩に昔はこうだったんだとか、この席に阿久悠が座っていたんだとか、いろいろ伝説めいたことは聞かされていました。
 80年代になって、地階のストックルームに出入りする機会があったんですが、膨大なアルバムやら16ミリフィルムやら小林さんの“遺跡”が全部残っている。すごいですよ。 「月光仮面」や「快傑ハリマオ」など小林さんが作った TV番組だけでも大量にある。フィルムはそれこそ数え切れないくらいあるんですよ。往年の時代を知っている人も社内にはまだ残っていた。例えば本田宗一郎は昭和の立役者として知らない人はいないくらいですが、小林利雄もその一人なんですね。独創的でエネルギッシュな人柄そのままに突っ走った。今でいうメディアミックスの手法を日本で初めて取り入れたのも彼ですし、知る人ぞ知る存在ですが、業界以外ではさほど知られていない。広告代理店というのはあくまで黒子ですから、広告主が目立たなければならないですからね。

―― 暗闇の銀座に水銀灯照明、電光ニュース、巨大ネオン、不二家のフランスキャラメルの看板…。昭和30年代の東京の写真には必ず登場する数寄屋橋交差点辺りの煌びやかな夜景もアメリカの宣伝雑誌を読み、夫人を伴ってアメリカに1ヶ月も渡ってノウハウを勉強してこられた成果だそうですね。魅力のある方ですね。

 先日出版記念パーティがありまして、小林さんも出席していただき、本の出版をとても喜んでくださいました。小林さんの原動力には「なぜ?」という素朴な疑問があり、「だったら、自分でつくってしまえ」という直感的な行動力がある。 TVで外国の作品を買って放映すると、外貨が出ていくばかり、だったったら作ってしまえと作ったのが「月光仮面」。その辺りのことも書いた小林さんの「アイデアの旅」という本が先日復刻されました。
 街にキャラクターを作って、みんなに見せて喜んでもらいたい。巨大なクリスマスツリーや街頭テレビと、とにかく楽しいことが好きな人ですね。一度会うとファンになってしまう、そんな人です。

――小林さんの膨大な仕事の各分野ごとに物語があり、プロジェクトXが何本分もできてしまうほどでは…。
 香港の夜景もそうなんですよ。100万ドルの夜景とか、東洋の真珠などといわれていますが、「快傑ハリマオ」の撮影で立ち寄った香港があまりに真っ暗なので、日本のクライアントを香港に連れて行ってネオンを点けさせたんです。実はこれはあまり知られていないことだと思いますが。
 彼にとっては美術広告と呼んでいましたが、アートもエンターテインメントの一つ。上野にまだ猪熊玄一郎の壁画が残っていますが、引き揚げ者がたむろしている上野が汚いからなんとかきれいにしたい、という発想ですね。それはアートだからという構えたものではなく、「月光仮面」と同じ比重なんですね。世の中を明るくする、笑ってくれる、喜んでくれるもの。もちろんビジネスの側面もあると思いますが。
 今、屋外広告が元気がない。あっといわせるアイデアがない。マーケティングに頼りすぎているのがよくないのでは…。
 ネオンサインを含めた光の存在意義はまだまだあると思います。都市を変えていく、キャラクターを作っていく。街をデザインしていく。街と反発し合うのではなく、共存していくことができるのでは。戦後なにもなかったところから知恵を絞ってあの黄金のネオン時代を築き上げたわけですから。

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