ネオン前線北上中

 
 腕自慢・ワザ自慢 72 
菅曲げ
関西支部 (有)サンプロッツ
菅 清一郎さん
菅 清一郎さん ――全国一のネオン管製作の激戦区(材料屋さん説)という大阪で平成元年に旗揚げしたのはサンプロッツの菅清一郎さんです。
 ネオン製作は1本1本違うものですから、その強みと弱点がありますね。手仕事の良さはあるけれど、大量生産できない。
――お父さんの「スガネオン」の菅さんも管曲げをなさっていましたね。縁起物のビードロ「源氏ぽっぺん」の製作をなさったこと6、7年前のNEOSで取り上げさせていただきました。
 初めは弟と一緒に仕事を覚えていきましたが、後は従業員と試行錯誤しながらです。
――ご自分のネオンは見に行ったりしますか?
 ええ、道頓堀を通ったら必ず見ますね。特に冬場など黒化現象で薄暗くなっていないか、切れていないか。
――ネオンが一番元気な場所、道頓堀にあるのはいいですね。
 そうですね、いくつかありますが、全部きれいに点いているとやはりうれしいですね。今後も丁寧に製作をすることで、今のお客様を大切にしていきたいですね。
――お仕事以外でご趣味はなんですか?
 暇が出来れば、家族と一緒に船に乗って和歌山の海で釣りをしています。これからの時期はキスかな…。さばいて食べますよ。

 

 
 う・ち・の・会・杜 75 
中部支部 (株)アド・リコー
生川典彦さん

生川典彦さん 昭和55年、先代の生川明氏がアド・リコーを設立。5年前、先代の急逝にともない生川典彦氏が社長就任、現在に至ります。
 業務内容は一貫してネオン、看板の製作取り付け全般。
「父の突然の死で、引き継ぎもなにもできないまま、わからないことが多くて大変でした。20年近く前から一緒にやっていたのですが、自分は現場専門だったものですから。現場レベルのお客さまの顔は見えていても、トップとの面識が全くなく、最初は緊張しました」
 がむしゃらにやるだけと、苦手な見積もりも、声をかけていただいたその日の内に出す。現場を終えてからのデスクワークも徐々に苦にならなくなってきました。
 先代の教えの中で『自分のところだけが満足してはだめ。お客様はもちろん、下請けも、係わったすべての人が満足する仕事をしろ』という言葉は今もアド・リコーのモットーです。  
 お客様を大切にして、新しいお客様を少しずつ開拓していく。若手の従業員と二人三脚で「なんでもやります」と、今日も名古屋中を飛び回ります。

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