NEOSの趣味の欄を拝読させて頂き、寄稿者の多くの方々が釣りを趣味としておられることが窺える。確かに大小に拘らず釣り上げた時のあの醍醐味は釣り人でなければ理解できないことでしょう。私も釣り歴十年余りになりますが、最初の頃は友人の勧めでいやいやながら彼の後について行き磯釣りに勤しんでおりました。
釣れない魚を求めて休日の度に釣り場通い、今日は絶対に釣り上げると意気込んで行くがやはりだめ。竿の先を眺め魚を想像しながら待つこと待つこと。友人の釣り上げるのを見て、「自分は釣りにむいてないかもしれない、もう止めよう」と自問自答している時に当りがあり、竿の先が弓なり、一寸の出来事で動揺、リールを巻くことさえ忘れ大慌て。友人の助けを借りて引き上げ、これまた吃驚するような大物(私にとって)。
一時止めようかと思った気持ちはどこへやら、いまではすっかり嵌ってしまい(磯釣りではものたりなく)遊漁船をチャーターして一日がかりの沖釣り。午前4時頃に出港、約1時間半程でパヤオ設置場に着く行程の間に簡単な取り決めをする。
@船上での場所
A獲物の分配(本人の同意)
B最初に釣り上げたものはみなでご馳走にする(小形の場合は交換)等。
漁場到着後船長が疑似餌をまく。その間各々の持ち場で準備、しばらくして船長から指示が出る。みな一斉に竿を投げ込む。しばらくは無言の状態が続く。みな海を眺めている。船底を打つ波の音だけが聞こえ、実に静かだ。その静けさを打ち消すように一人が大声で当り当りと騒ぐ。するとまもなくあっちこっちで当りが続出。みなの顔が笑いでしわくちゃ。釣りの醍醐味の寸間だ。(カツオ、アジ等魚種も多種)だから釣りの虜になり益々嵌っていく。それが釣り気違いと言われる所以だからだろうか。(西田敏行の釣りバカ日誌のように)
まあ、人生好きな趣味を生かしながら送るのも良い生き方ではないかと思い、隙を見つけては切々と釣り通いする釣り狂の私。
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