ネオン前線北上中

 
 腕自慢・ワザ自慢 74 
ネオン工事
中部支部 (有)平野電工
平野雄二さん
平野雄二さん 電気工事でスタートした会社をさらに充実させようと頑張っている二代目の平野雄二さん。今年節目の40歳。ネオン、看板、鉄骨、取り付け工事が専門です。
――仕事上のモットーはなんですか?

 どんなに忙しくても仕事は断らない。なんとかします。これはうちの基本です。
――お父さんの後を継がれたのですね。
 大学を出て一年間は別の仕事をしていましたが、この仕事をやることになり、働きながら夜間の電気専門学校に通って、資格も取りました。現在は、時代のニーズに応じてどんなことにも対応できるようにしていくことが大事だと思っています。
――現場では?
 いつも3、4人でチームを組んで仕事をしますが、段取りは臨機応変にしないとなにがあるかわからない。人の意見はとりあえず聞く、という姿勢でやってます。自分の意見を無理に押しつけないで、よりよい方法を考えながらやる。チームワークは大切ですから。
――お休みの時は何をなさっているんですか?
 休みの予定が立ちにくい仕事なので、夏や冬のまとまった休みには家族でキャンプです。

 

 
 う・ち・の・会・杜 77 
東北支部 (有)中倉サイン工芸
高橋義信さん

高橋義信さん (有)中倉サイン工芸は昭和57年4月、高橋義信さんが設立。独立当初はネオンサインの取り付けがメインでした。当時のお客様は同業者の看板屋さんがほとんどで、特に自社製作はしていませんでした。
 数年してネオンサインに必要なチャンネル文字加工製作を始めました。
 昭和から平成になり、古巣の(株)昭和ネオン仙台(営)からの受注も加わって忙しくなり、特別な営業活動をしなくても十分業績をあげることができました。平成13年の「みやぎ国体」の年までそのような状況が続きました。
 その後仕事量も、受注金額も毎年のように減少し、その過程でネオンサインが主体だったのが一般看板の仕事が増え、現在は一般看板の受注量が90%近くを占めています。
 今秋久し振りに仙台の青葉通りのアイクのネオン広告塔を受注とのこと。「従業員8人で安全を最優先し、最小のコストでお客さんに最大の満足をしてもらえる仕事をしようとハリキッています」「若い人にはあえて厳しいことを言います。それが会社のため、ひいては本人のためになると…。10年後には自主性を尊重した自由な雰囲気の会社になれればいいなと思っています」と、高橋さん。電話口からも誠実なお人柄が伝わってきます。

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