故郷は懐かしき方言のなか
名古屋「愛知県」
ぼくが子供の頃過ごした街の風景はいまはない。懐かしい言葉だけが風に舞っている。ぼくにとって故郷は風景や人情ではなくなってしまった。それでも街を観察しながら歩いていくと過ぎ去った日々の名ごりを留めている建物の部分やわずかな場所を見つけることができた。古いものと新しいものは互いに目をそむけるように隣り合わせている。
ぼくは壁のすき間をくぐり抜ける日ざしにでもなったつもりで目の光りをあちらこちらに射(はな)ちながら足を運ぶと、日に晒された街は喧騒とまるで関係のない様子で時を刻んでいることがわかる。
ざらざらした空気があたりを占めているのはなぜだろうか。新しい時代を迎えて街がまだ落ち着かないからか。ぼくのこころのなかにあるたたずまいという言葉とはかけ離れた風景が続いている。新しい看板やネオンサインには明るい日が降っているように見えるが、同じ日ざしが古い土壁や屋根瓦に降っているとまるで違うものに感じられる。ここからたたずまいという気分を持つ空間が生まれるのだろうかと考えはじめた。故郷には思いが強いからなのかもしれない。(1997年7月)
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