私のネオン屋稼業奮戦記

 Vol.67 (2)
“安全”の確保を目指して
     関東甲信越支部 (株)東京システック 小野博之

小野博之さん 当社の旧名(株)東京照明への入社後、看板体の構造設計に携わったのは3年間でしたが、現場経験もないまま始めたことでの失敗例がいくつかあります。
 ネオン広告塔の鉄骨は一般にアングル部材で細かくトラスを組み、蜘蛛の巣状になったものが多いのですが、これはガセットプレートの重量が意外とかさみ、見た目も美しいとはいえません。私はH鋼やチャンネル鋼で荒く組むことにより鋼材重量の軽減を図り、製作の手間も省くようにしました。ところが、これは現場の作業者に不評でした。建方やトランスの裏配線では鉄骨が足場代わりに利用されますが、私の設計では縦胴縁の場合、どうしても内部足場を組まなければ作業できません。また単一部材が重いので建方がやり難いというわけです。
 今でも思い出深いのは、横浜駅西口広場に面して立つビル屋上の広告塔です。このビルには三和銀行(当時)と東洋信託銀行が入り、表示はこの二行が等分に見えるように円筒形の回転体とすることになりました。しかも、夜間止めておくときは両行が一日おきに駅正面を向くように、との注文です。直径は20mあり、これを回転させるにはどうしたらいいのか、私も考えこんでしまいました。
 当時、清水電業社では点滅機のほか回転装置も扱っていて、田辺久穂さんというメカニックのベテランがおられました。参考のため、二人で渋谷にあった縦長の回転広告塔を見にいったところ、騒音と振動が激しく、止めているとのことでした。それは広告塔の外周をローラーで受け、そこに駆動装置を設けていました。田辺さんは傘のように円の芯に柱を設け、それを回転させれば騒音も振動も防げると言います。とは言っても半径10mもある物体を芯柱だけで受けるというのは冒険です。私は迷いましたが、結局は田辺さんの意見に従いました。
 できるだけ軽くし、横風に備えて外周には数箇所の受けローラーを設けましたが、普段は看板本体との間に空きがあり、浮いている状態にしました。結果的にはスパンがあるだけに、中央の柱を支点としたヤジロベーのようになり、極めて安定性がでました。鉄骨重量が脚部の架台を含め、50トン近くにもなり、架構も複雑なので到底ネオン鉄骨業者の手には負えません。建築や橋梁が専門の大工場に依頼して納めました。
 手間のかかるきわめて精度の高い仕事が完璧に仕上り、完成して回転したときは感激しました。危惧した騒音も振動もまったく問題ありません。しかし、なにしろ機械ものなので10年も持てば上々と思っていたところ、途中一度ギアを入れ替えただけですが、35年間経ったいまも回り続け立派に使命を果たしてくれています。
 西日暮里のホームから見せる「大関」の媒体広告塔も記憶に深いものがあります。間口4mの1スパンで奥行きの長い、うなぎの寝床のようなビル屋上に一辺が4m、二辺が8mと極端に鋭角の二等辺三角形で高さが10mという屏風状の架構です。しかも鋭角の頂点の柱基礎はペントハウスの上、4mスパンの脚部基礎は一層分下がった屋上にあります。この場合、水平力に対して短スパンの脚部には過大な引き抜き力が働くことになります。
 アンカーボルトは計算上は問題ないものの、構造計算はひとつの仮定条件のもとに行うものであり、施工精度のことも考えると安心はできません。台風が来るたびに倒れはしないかと夜もおちおち眠れないほど心配しました。実際、台風時のビル自体の振動はひどかったようです。
 幸いなことに、5,6年経ったころ駅ホームとの間に別の広告塔ができて見えなくなったため撤去となり、そのうち周辺の道路整備でビルそのものもなくなりました。やっと枕を高くして眠れるようになりましたが、そのとき以来、会社の売上は減っても設計者として危険と思われるものは毅然として断る姿勢が必要であると肝に銘じました。耐震強度偽装事件の姉歯氏が必要強度の半分にも満たない設計をしてよくも平気でいられたと感心せざるを得ません。
 広告物は台風に比して地震時の影響はそれほどでもありません。それでも看板の場合、既存ビルの屋上をはつってアンカーボルトを埋めたり、壁面の袖サインにホールインアンカーを使ったりしますから実際にはどうなのか、疑問に思っていました。それをこの目で確認することができたのは阪神大震災のときです。
 地震発生から1ヶ月を経過したとき、意を決して阪神に視察に向かいました。まだ電車が復旧しておらず、三宮には関西空港から高速艇で行くしかありませんでした。結果については本誌のVOL.27で詳しく報告しましたが、昨年各地で地震が頻発したのを機に新宿区役所から問い合わせがあり、そのときの報告資料がおおいに役に立ちました。
 設計の仕事から離れた後、しばらく製作部門を担当しましたが、そのとき最も力を入れたのは現場の安全管理です。当社は銀行やデパートのお得意先が多く、ことのほか信用を重視されます。ほんの些細な事故でも蜂の巣をつついたほどに大騒ぎになり、報告書や対策書、しいては始末書の提出を要求され、最後に無償修復工事や値引きの対象となります。信用の失墜と事後処理に要する時間や労力のロスは甚大なものがあり、事故ほど高くつくものはないでしょう。
 会社は昭和49年に新聞にデカデカと載る大事故を引き起こしました。その時のことはVOL.65の「危機突破・あの時のこんなこと」欄で書きましたので省略しますが、それを契機として協力会社ともども労災防止協議会を結成し、毎月1回定例安全会議を開いてきました。
 それが功を奏したのか、以来大きな事故はないものの、不思議と現場の高所からドライバーやボルトを落下させるトラブルが重なりました。例えドライバー1本にせよ、弾みによっては大変な事故になりかねません。今から6年前、ビルの建築現場で落下させたドライバーが下を歩いていた女性の額を貫通するという事故が発生しています。間が悪ければドライバー1本で死亡事故もありえないことではありません。
 私はそんな事体が起こらないようにドライバーに結ぶ伸縮性のコード状安全具がないか探しました。しかし、当時犬の散歩用にそれに類したものが売られていましたがそれでは大きすぎて使えません。そこで、ネオンサポートなどを製造販売していた(株)ヨシタケの吉武社長を説得し「セーフティコード」の名称で商品化してもらいました。それをペンチ、ニッパーを加えて三個、当社の現場に携わる全作業員に着けてもらいました。それだけでは製造したロットが消化できませんから、同業者にも宣伝しました。しかし、期待したほどの売れ行きは無かったようで、吉武社長にはお荷物になったかなと思います。それ以来当社の現場落下事故は聞かなくなりました。もっとも、事故の減少は屋上広告塔の仕事が激減し、高所の作業が減ったせいもあるようです。その後安全コードもいいものが市販されるようになり、現在はそれを使っています。

(以下次号)

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