ネオン前線北上中

 
 腕自慢・ワザ自慢 80 
ネオン管加工・営業
中部支部 (有)奥野電工
奥野千昭さん
奥野千昭さん ――22歳で独立、とお聞きして、え〜!それはまたしっかりした青年だったんですね。
 いえ、そんなことはありません。自慢といっても特には…。
――早くに独立を!となると、仕事に対する取り組みが違うのでしょうね。
 最初は電気工事だけでした。ネオンをやりだしたのは26年前、30歳の頃からです。ちょうど景気が良くなってきた頃ですね。技術は教えて貰ったこともありますが、大半は自己流です。『習うより慣れろ』ですね。
――ネオン管の曲げはなかなか修得が難しいと聞いていますが。
 興味があって手先が比較的器用ならだれでもできますよ。でもまだまだ、生涯勉強です。
――そんなご謙遜を。社員の方に管曲げを教えたりなさいますか?
 手を挙げるものがなかなかいない。これからの時代、十分な需要があるかという問題もあります。電気工事に関しては皆よい技術を持っています。部材が変わっても対応していけるように、現場で鍛えられています。
――営業もなさるのですね。
 飛び込み営業もやります。百分の1の確率でも、決まればそれまでの苦労が一気に報われます。営業は意外と向いているのかもしれません。
――片手に工具、片手に企画書と奥野式二刀流ですね。

 

 
 う・ち・の・会・杜 86 
東北支部 (株)東洋ネオン
飛塚裕司さん

飛塚裕司さん 東洋ネオンは飛塚純吉氏が昭和28年に創業し、昭和46年に現在の株式会社に組織変更。そして次代を担うのは飛塚裕司氏です。先代とは伯父甥の間柄です。
 先代の創業のいきさつはNEOS 26号(平成7年1月25日号)に。ネオンとの偶然の出会いから、ネオンに惚れ込み創業、そして業界の未来に対しての真摯な提言が綴られています。
 創業以来の社の理念は「広告を科学する」。例えば景観に配慮した企業イメージを展開するといった提案型企業です。平成15年に取締役社長になった飛塚裕司氏はその大前提に加えて「全員攻撃、全員守備」を掲げています。製作から取り付けまで自社でまかない、社員数は8名。時には営業や事務も現場を、現場も営業を担います。
 この業界に入る前は畑違いの酒店経営だったという飛塚社長は、「自分はまだまだ修行中ですが現場は大好き。みんなで作り上げていくことで仕事に対しての意識を共有する。そして職人集団の中に商人の自分が入ったことで、お客様の気持ちになって考えることができる。サインは仕上げのお化粧だと思います。気が抜けないですよね」。

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