七千円を手にしても、晴れやかな気分にはなぜかなれなかった。何か胃のあたりが鈍く痛んだ。消化の悪い苦いものを無理矢理飲み込んだような気が葵はしていた。隣を歩くナナコも、やっぱり喜んでいるようには見えなかった。いくあてもなく地下街を歩き、駅が近づいてきたとき、アオちんの昔住んでいた家が見たいと、ぼんやりした声でナナコが言った。
「高橋さん、全然あたしのこと覚えていなかったな」
ドミール磯子マンションの屋上で、両手で柵を握り葵は言った。
「茶髪だし、化粧してるから」
ナナコは言う。
尻の下でコンクリートが冷たかった。目の前を、ピンク色に染まった雲が流れていく。ちかちかと瞬くように遠くでネオンがともる。白地に赤い文字で「酒は大関」と書いてあった。
かつて葵が住んいた305号室には、もう他人が住んでいた。横浜駅で思ったのと同様、磯子に降り立っても、毎日行き来していた商店街を歩いても、幼稚園のときからずっと住んでいたマンションについても、なんの感情もわきあがってこなかった。なつかしくもなく、嫌悪もなく、やっぱりそこも、見ず知らずの町、見ず知らずのマンションに見えた。
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