アウシュビッツという地名には負の歴史を背負った忌まわしい土地というイメージを感じさせられる。この地に住む人たちもいい気はしないだろうと思っていた。
ところが、「着きました」と言われて降り立った駅頭には「オシフィエンチム」というサインが掲げられていた。ナチス・ドイツがこの地を占領したとき地名を変えたのだ。本来ポーランドの政治犯の収容所として造られた施設は一大殺戮工場に変貌した。ここはすぐ手狭になり、二キロほど離れたところにさらに広大な収容所が増設された。ビルケナウ収容所で「第二アウシュビッツ」とも称される。
ここに三〇〇棟以上のバラックが立ち並んでいたが、今残されているのはほんの数棟。雑草でおおわれた土地の広大さに目を奪われた。「死の門」と言われる入口から延びる鉄道の引き込み線の終わりははるかに遠く、歩きつくことはかなわなかった。
そのちょうど真ん中辺に一台の貨車が据えられていた。死への行進はまさにこの貨車から始まったのだ。
貨車の重い扉に一輪の白い花が添えられていた。たった一輪といえど鎮魂の気持ちは十分に伝わってきた。