ゴッホがピストル自殺を遂げるまでの2カ月間を過ごしたノルマンディーのオーヴェル・シュル・オワーズには、宿泊したラボー亭(復元)や絵で有名になったノートルダム教会がそのまま残されていた。そればかりか自殺した麦畑も、沢山のカラスが飛び交う絵の通りだった。ゴッホはこの地で70点の絵を描き残した。一日に一枚以上のペースは驚異的で、まるで死を目前に描きいそぐという風ではないか。
生活費と画材のすべてを頼っていた弟テオには1年前に結婚した新妻ヨーがいて赤ちゃんまで誕生した。これ以上の支援は難しく、三者の利害はもつれた。彼の生きていく道は閉ざされたのだ。(小林英樹著「ゴッホの遺言」)
これほど世界の人々に愛され、魅了される作品が生前一枚しか売れなかったとは不思議というほかない。時代はすでに印象派全盛だったのに。今では一枚数十億円という値がつくから皮肉な話だ。そこにゴッホの悲劇性がある。
一本の畔道が右奥に伸びる麦畑は変哲もないが、添えられた案内板だけがその悲劇を伝え、私は胸の高鳴りを覚えた。すぐ近く、仲よく並べられて立つ簡素なゴッホとテオの墓に深く頭をたれた。