World Sign バックナンバー 世界のサイン、遂に出版される
VOL.147  与謝野晶子のシベリアの旅
与謝野晶子のシベリアの旅
 私のシベリア鉄道に対する想いは、与謝野晶子の旅を追体験したいという願いも多分に含まれていた。
 渡欧した夫、鉄幹に逢いたさゆえに晶子がウラジオストックに向かったのは明治45年のことだった。鉄幹はその半年前、船旅でパリに向かっている。当時、船で40日間を要するパリまで、鉄道なら10日余りで着いてしまう。
 そのとき彼女には7人の幼い子供があったが、みんな日本に残している。外国語が話せないひとり旅の途次、スリに遭い有り金を失ったりしている。初めての異国の長旅と見知らぬ人々のあいだで過ごした心労で疲労困憊し、やっとの思いで夫のもとにたどり着いた。
 晶子の碑がウラジオストックの極東大学東洋研究所の前庭に置かれていた。そこに刻まれた詩の三番目
  晶子や物に狂ふらん
  燃ゆる我が火を抱きながら
  天がけりゆく、西へ行く
  巴里の君へ逢いに行く 
 このとき晶子は34歳、あまたのライバルを蹴落としての結婚後十一年を経過しているが、この情熱は何人もかなわない。
 





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