17年前の初めてのアメリカ訪問に際して、ロサンゼルスの街中でこの信号灯を見かけたときは奇異な感じを受けた。観光バスの中からの遠望だったが、「WALK」と「DONTWALK」の文字はどう見てもネオン管のようだ。何でまた信号にネオンなのかと疑ったが、あわただしい団体ツアーのさ中、間近に確認することは出来なかった。
十年前の2度目の訪問ではもうロサンゼルス市内でこの信号を見かけることはなかった。しかし、ラスベガスのダウンタウンで図らずも巡り合い、あたかも昔なじみの親友に再会したような気持ちがした。カジノ街のド真中、ハデハデのネオンとイルミネーションの洪水の中で健気にも頑張っていて、「ボクの仕事は君たちよりも大切なんだよ」とでも言いたげに見えた。不揃いなチューブの曲がりがかえって人間の手の温もりを伝えているようで親しみが持てた。
その後、3度目のアメリカ訪問でこのラスベガスの「親友」を探したが、信号灯はすべて内照式のものに替えられていた。時代の流れのなかで「親友」はやはり消える運命にあったのだ。大量生産、大量消費と機械文明のアメリカで手造りのネオン信号はいかにも場違いな感じながら、古きよき時代の残滓として残しておいてほしかった。ラスベガスの華麗なネオンを思い出すとき私の脳裏にはいつもあの小さな「親友」の面影があった。 |