「アンネ・フランクの日記」を読んだのは高校生のときだった。閉じ込められた青春と人間性の叫びにホロコーストの非情を感じとった。
三十四年前、三十歳で初めてヨーロッパに旅しアムステルダムを訪れた。アンネの隠れ家が保存され、公開されていることを知ったが訪れることはかなわなかった。
五年前の旅でも時間がなかった。せめて外観だけでもと思って朝の街を、地図を頼りに探したが見つけられなかった。
今回、三度目の当地訪問で願いはやっとかなえられた。西教会のそばの運河に面し、濃い緑色に塗られた家の柱に白いプレートで「ANNE
FRANK HUIS」と表示されていた。それはアンネの短かかった命を象徴するかのように、あまりにも慎ましやかで小さかった。道理でこの前は見つからなかったはずだ。
内部は当然とはいえ、日記に記述されたそのままの間取りで、カモフラージュの本棚も屋根裏部屋も階段も、昔実際に見たように懐かしかった。二年と一カ月に亘るアンネとその家族の不安と恐怖、そしてささやかな希望の感情が今なおこもっているように思われた。
それは、私の青春に印された重い衝撃を振り返る心の「聖地巡礼の旅」でもあった。