ネオンストーリー

 Vol.51
活字メディアより
車谷長吉著  平成10年直木賞受賞作品  赤目四十八瀧心中未遂  文芸春秋刊
 

「生島さん。うちを連れて逃げて。」
「えッ。」
 アヤちゃんは下唇を噛んで、私を見ていた。
「どこへ。」
「この世の外へ。」
 私は息を呑んだ。私は「触れた。」のだ。アヤちゃんは私から目を離さなかった。私の風呂敷荷物を見て、ほぼ事情を察していたのだ。私は口を開けた。言葉が出なかった。アヤちゃんは背を向けて、歩き出した。その背が、恐ろしい拒絶を表わしているようだった。私は足が動かなかった。アヤちゃんは遠ざかって行く。私は私の中から私が流失して行くような気がした。小走りに追いすがった。

 アヤちゃんは黙ったまま、前を見て歩いていた。私は天王寺駅に降りるのは、はじめてである。毒々しいネオンの光が輝く、繁華な街であるが、どこをどう歩いているのか分からなかった。アヤちゃんは、恐らくはこの世の外へ逃げざるを得ないところまで追い詰められているのだ。その黙って歩いて行く背中が、ネオンの色に染まり、それが次ぎ次ぎに色変りしていた。私の足の裏からは、温い血が沸騰するように、じんじん上って来る。

 
 

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