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■ 特別報告ドバイ・アブダビ視察報告2
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私がアラブ首長国連邦のドバイという都市にひとかたならぬ関心をいだいたのは二年前、JCBの会員向け広報誌「THE GOLD」の特集記事を見たのがきっかけであった。「オアシス進化論」と名打ったその記事の大半が1999年末に完成した「バージュ・アル・アラブ」というリゾートホテルの写真による紹介に当てられていたが、アラビアンナイトの世界を現代に甦らせたかのような絢欄たる内部空間と調度の見事さ、高さ321メートルに及ぶ建物の天空高く吹き抜けとなった巨大空間は今まで目にしたこともない不思議な造形に満ちていた。しかも風をはらんだ白帆のように軽快に見える外観が現代ハイテク技術の粋を結集したことは明確で、その先進的なデザインが内部のイメージといかにも結びつきにくい。“世にこんな建築物が存在するのか”という軽い衝撃とともにこのホテルの建つドバイという都市に惹きつけられ、生涯行けるあてはないだろうと思いつつもこの記事はしっかりと私の参考ファィルに綴じこまれた。
今回、そのドバイでサインとグラフィックの展示会が催され、当協会会長宛にスピーカーとしての招請状が届いたことは正に天与の声、千歳一隅のチャンスと思え即座に随行を申し出た次第である。 もっとも正直なところ、果たしてそんなアラブの砂漠の街にサインフェアーを開くだけの広告需要があるのか、ましてネオンが存在するのか、大いに疑問に感じた。しかし、その後ガイドブックを紐解けば、スーク・ムーシッドという街は夜になるとネオンもギンギンで目がチカチカしそうと書いてあるではないか。また、隣のアブダビに数年間赴任経験のある商社マンに情報入手でお会いしたら、アブダビの街もネオンが盛んであるとのこと。「まんざらでもなさそうだ」とは読めてきたが、いざ行って実際に自分の目で確認したこの国のネオンサインにはビックリのほかなく、私の予想をはるかに越えていた。量的に日本の都市に勝ることは確実である。 そんなネオン情況の報告はさておいて、この都市の成り立ちを述べるのが先決だろう。 アラビア半島のペルシャ湾沿いに位置するアラブ首長国連邦は7つの首長国で構成され、ドバイは首都アブダビに次ぐ首長国である。ほんの少し前までは砂漠の中の一筋のクリークに沿った、ひなびた集落の港町に過ぎなかったが、突如アラビア湾に噴出した大量の石油がこの街を大変貌させた。それは、わずかに30年ほど前のことに過ぎない。そのわずかな間に、この国は世界の商社が集積する中東貿易の中継地として、また第一級のリゾート都市として生まれ変わった。整備された広い道路網、緑鮮やかな芝生とさわやかな街路樹の連なり、そして林立する超高層ビル群にオイル・マネーの底知れない力を痛感しないわけにはいかない。 そのビル群の大胆なデザインには目を見張らされた。アメリカ的でもヨーロッパ的でもなく、アラビア独特の豊かな装飾性を近代技術と潤沢な資金力で造形した近未来的な都市の風貌は魅力に満ちていた。それはまさに私のかつて体験したことのない異次元空間であった。 その都市景観にはサインも豊富であった。高層ビル最上部に近い壁面のビルサイン、低層ビル屋上の媒体サイン、そして商店街の欄間サインと、その掲出量はどんな国の都市も凌駕するほどである。ビルサインはあくまでもシャープでセンスよく商店サインは華やかに、そのどれにもネオンがふんだんに使われていて賑やかな点滅の表現方法も日本とほぼ変わらなかった。 アラブ首長国連邦の人口の8割は東南アジアやインドからの出稼ぎ外国人で占められ、自国の人間はたった1割に過ぎないという。(残る1割は他のアラブの非産油国からの出稼ぎ者)彼らは企業のマネージメントや役所の管理職にしか就かず、肉体労働や雑役に従事するのは全て外国人。いわば、この国を底辺で支えているのは外国人ということだ。従ってこの国の常用語は英語である。そんな事情からサインのほとんどがアラビア語と英語の両方で表示されている点が先ず注目された。その点、限られたスペースに出来るだけ大きな文字を表示する必要のある媒体サインでは点滅で両者を使い分けているものが多く見受けられた。これも点滅ネオンの利点だろう。 私と梅根理事の二人はスケジュールの関係上先着し、資材展第1日目だけに出席し帰国することになっていたが、先ずはアブダビの夜景を見物することになった。アブダビはドバイから約150キロ、片側5車線の素晴らしい高速道路で結ばれている。ドバイがクリーク沿いに発展した都市であるのに対して、アブダビはアラビア湾沿いの入り組んだ入り江に面してつくられた都市である。海際には美しい公園と散策路が伸びていて市民が三々五々のんびりと集っている。入り江の対岸から海を隔てて遠望する高層ビル群の連なりはとても砂漠の国の風景とは思えない。街の広がりは意外に深く、夕暮れの繁華街は時折ビルとビルの間に顔を見せるモスクを除けばロサンゼルス市内の光景と何ら変わるところはない。違うのは通りを歩く人たちの服装と異様なネオンの多さだけであった。 さて、期待のスーク・ムーシッドだが、ここはドバイの下町商店街といった感じの地域で、携帯電話やオーディオなどの電気製品を扱う店が多いが、その他衣料品店や日用品店など各種雑多な店が一帯に広がり、大変な賑わいようであった。大通りも車の洪水で、向こう側に渡るのが簡単ではない。この国の大部分を占める低所得の外国人が客となっていることは容易に推察できる。各店舗は一様に軒上の壁面に間口一杯のサインを掲げているが高さは1.5m程度と日本のものに比してかなり大きめである。FFシートの内照式あり、電飾あり、ネオンサインありと形式は様々だが、その派手なことといったらない。秋葉原の電気街とパチンコ屋のサインを足して二で割った感じか。まさに光の洪水、点滅のオンパレードでクラクラしそうだ。黄色、緑、紫といったアラブ独特の配色を流れ点滅させたものも多く、ちょっとどぎつい。ここばかりは上品というわけにはいかない。シートサインの周囲をネオン管で囲い、点滅させたものも多く見受けたが、これは日本ではあまり見られない方式だ。流石に調光システムはまだ導入されていないようだったが、あれは柔らかな光を好む日本ならではの表現かも知れない。 ネオンサインの光に飽食して腹が減ったところで、近くにある「ハイアット・リージェンシー・ドバイ」の和食レストランに向かったが、このホテルの入って直ぐの1階がアイススケート場になっていてビックリ。夏は50度にもなろうというアラブでまさかスケート場にお目にかにかかろうとは思わなかった。民族衣装をまとった少年、少女がスケート靴を履いて滑る光景は奇観であった。これも豊かな電力供給の賜物。 この国の電力は当然ながら全て石油をエネルギーとする火力発電でまかなわれ、その余力で海水を蒸留することによって潤沢な真水を供給している。街のあちこちには砂漠の国における富を象徴するものとして様々なデザインの噴水が設けられ、盛大に水を吹き上げていた。街路樹も芝生も砂漠の国に在っては高価な水の供給あっての豊かさの象徴なのだ。植生を保つために土中には給水のためのパイプが敷き詰められ、砂の上に盛る粘土層さえが遠く海外から輸入されてくる。 この国の富の一端を象徴するものとして、私が「THE GOLD」紹介記事で魅せられたホテル、バージュ・アル・アラブがある。このホテルの名称は「アラブの旗」という意味だそうだが建物外観からもそのシンボリック性は際立っている。全室スイートで一泊最低10数万円と聞いては宿泊はあきらめざるを得ず、せめて内部の見物だけでもと思ったわれわれはお昼の食事をここで摂るべく予約した。アラビア湾の海中に人工島を築いて建造したホテルには専用の橋を渡るか、ヘリコプターによるしか近づくことは出来ない。ロビーに一歩足を踏み入れただけで、いたるところ燦然と輝く黄金色の装飾と、大勢のスタッフの目に威圧されるような面持ちになる。ロビー正面から2階に伸びるオブジェのテーマはここでも噴水。両脇のエスカレーターに接する壁面が一面の巨大水槽になっていて沢山の熱帯魚が回遊している。建物最上部に宇宙ステーションのように突出した展望レストラン「アル・ムンタハ」(“究極”という意味)からの眺望はエメラルド色に輝く海上と遠くまで伸びる陸地を見晴るかし、絶景そのもの。ここでは料理よりも、あたかも天空から眺めるかのような雄大な景観と贅を尽くしたインテリアこそ味わうべき対象であることを理解した。ここに泊まり、この風景を満喫するのは王侯貴族かアラブの金持ち連中だけに与えられた特権なのだ。 食事をしながらこの国の富の意味について考えた。その富の根源である石油の埋蔵量は無限ではない。一説にはもう50年も持たないのではないかとさえ言われている。突如としてアラーの神の天恵によって与えられた石油は再び神の意志によって枯渇する。砂漠の上に咲いた都市というあだ花はその時、あえなくも消えていく運命にあるのだろうか。きらびやかな装いで魅了する近未来都市は有限な人類の歴史の中でもアッという間の幻覚を見るようなものかも知れない。アラブの住人はそのことにどう思いをめぐらしているのだろうか。
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