ネオンサインストーリー

ネオンサインから、エレクトリックサインに変化しようとする中で、
ネオンサインがどのように発展してきたかを紹介します。

1900年代初頭 パリ万国博覧会

ネオンサインは、フランスの科学者ジョルジュ・クロードにより完成され、1900年代初頭パリ万国博覧会で公開されました。日本で初めて国産ネオンが東京の日比谷公園で公開点灯されたのは、パリ万国博覧会で発表されてから十数年後の1926年。現在から半世紀以上昔のことです。それ以前の日本では、色電球によるイルミネーションが主流でしたが、ネオンサインの普及により点光源から面光源へと屋外広告の変革をもたらしました。

1964年 東京オリンピック

ネオンサインは、戦後の日本経済の発展と共に歩んできました。特に高度経済成長のシンボルともいえる東京オリンピック以降は、屋外広告に対する需要が飛躍的に伸び、それにともなう技術革新も様々な面面で行われました。それは、その当時の経済発展を表現する映像に、かならずと言っていい位ネオンサインがあふれる街の情景が映しだされていることからもわかります。いわば、ネオンサインは、平和と経済発展の象徴だったといえるのです。

1998年 そして未来へ

時代の変革にともない屋外広告の役割も変化してきています。これまでのシンプルな表現から、より高度なコミュニケーションを求められるようになり、しかも街の環境まで考慮されたものでなければなりません。ネオンサインの業界ではこのような社会状況に応えるため、業界全体に新しいコンセプトを設け変革を推進しています。

そのベースに私たちしかできない社会への貢献というテーマがあります。それは、ネオンサインで培ったノウハウを活かし、時代のニーズに対応する技術です。いま私たちが実現しようとしていることは、まさしく21世紀へ向かう社会の発展を表現する手段に他なりません。ネオンサインからエレクトリックサインへ。

深層心理に訴えるネオンサイン

長年培われた技術により、コストパフォーマンスの面で、屋外媒体の中でも今だにその主役を担っているのがネオンサインです。ネオンサインが発するひかりは、蛍光灯などの強いひかりと違い 人間に心地よいイメージを伝える光度を持ち、数十色も発色できることと相まって人間の深層心理に 訴える力を持っています。  

ネオンガスとアルゴンガスを放電させた、赤色と青色をベースとし て、蛍光管と着色管などの組み合わせにより様々なデザインに対応 します。また、他の光源やフラッシュライト・新光源等との組み合わせも可能です。

直線、曲線、平面、立体とあらゆる設計に対応。直径8mm~14mmのネオン管を加工し組み合わせることで設計します。

点灯、点滅、調光、フラッシュ等をコンピューターにより制御。華やかさや気品ある演出は自由自在です。

リアルタイムに伝えるエレクトリックサイン

ハイテク&高度情報化時代に対応しうるハードとして注目されるエレクトリックサインは、オンラインシステムを採用 することで、次世代の情報システムとして注目されているマルチメディアにも対応できる新しい媒体です。その特徴は、従来の看板のような固定的情報を伝えるのではなく、目的に応じた文字情報や画像情報などの内容をリアルタイムに変更できる点があげられます。

今後のマルチメディア等に不可欠な音声にも対応しています。公共施設や屋内設置等音声訴求が必要な場所に設置出来ます。

文字情報のみを表示するものから、画像情報まで対応できるハードがあります。リアルタイムな表現ができます。

LED、CRT、Qボード、トライビジョン等様々なエレクトリックサインがあります。演出、コストパフォーマンスを考えた選択が可能です。