平和の目じるし

池内 紀(ドイツ文学者・エッセイスト)

気づく人は少ないだろうが、ネオンサインは自動車や電話や映画と同じころに町へあらわれた。二葉式の飛行機が空に舞いはじめたころでもある。二十世紀の発明品、あるいはこの世紀の初めに市民生活の中へと入ってきた。

町が都市になり、都市が大都市へと拡大していったときである。地方から続々と人々が移ってくる。見知らぬ街に住居を見つけ、暮らしを始め、それが地についたころ、気がつくと、いつものネオンがまたたいていた。

東京都板橋、三軒茶屋、雑司ヶ谷、文京区本富士町……。若いころ、ひとり者の気らくさで転々とした。どこにも近くに○○銀座といった商店街があって、入口に可愛らしいネオンがともっていた。商店組合がデザインを考えたのか、それぞれの街にふさわしい小さな飾りをおびていた。

故里には目じるしの学校や神社や杉の大木があったが、新しく住みついた街にはそれがない。代わってネオンサインが地縁的シンボルの役目を果たしてくれる。なじみのうすい土地にきて、ひそかにいだいている不安を、あざやかな夜の明かりがやさしくなだめてくれる。

ネオンが街角にまたたいているかぎり、平和な世の中と思っていい。経済恐慌、クーデター、非常時、戦争…ネオンが消える時代はいつも悪い時代である。画家の木村荘八が思い出のなかに書いていたが、戦後の新聞に「ネオンサイン外務員若干名募集」の広告をみて、ひどい時代が終わったことをしみじみうれしく思ったそうだ。

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