日本画の聖母子像
ほんの7年ほど前まで、岡山聖虚と尋ねても「Who?」と聞き返されることがほとんどでした。しかし最近では、「岡山聖虚」とググってみるとすっかり有名人になっていて、たくさんの情報を得られます。何を隠そう、私も当時は彼について全く無知同然だったのですが、ある出来事をきっかけにすっかりその魅力に取り憑かれ、老後の貴重な時間とお金を費やしているというわけです(笑)。
その最初のきっかけは、2019年のクリスマスのことでした。長崎のあるお宅で、聖虚が描いた聖母子像の掛け軸を拝見し、並々ならぬ感動を覚えたのです(図①)。
私はカトリック信者で、幼い頃から数多くの聖画を見て育ちました。その大半は油絵やフレスコ画で、描かれているのは西洋人のマリア様でしたが、ところがその絵は日本画の聖母子像でした。所有者の方は、クリスマスになると通りから見えるお座敷にこの掛け軸をかけ、道行く人々にも見せておられました。
この掛け軸は所有者の曽祖母の代から伝わるもので、誰が描き、どのようにして手に入れたのか、詳しいことは何も分からずに代々受け継がれてきたそうです。
私が特に感動したのは、日本画独特のタッチで描かれた聖母の涼しげな眼差しと、御子イエスの気高い表情でした。早速調べてみると、作者は岡山聖虚という画家で、生涯、ミッションスクールで美術教師として教鞭を執る傍ら、自身の好きな絵を描き続けた人物だと分かりました。彼には画商がついていなかったため、描き上げた作品を販売することはなく、奉職した学校や友人たちに贈っていたそうです。

日本二十六聖人
さらに調べていくうちに、興味深い事実が明らかになってきました。彼が活躍した時代は、長谷川路可や小関喜美子といった画家たちが「宣教美術」というジャンルで活動していた時期と重なります。そして、岡山聖虚の作品もまた、バチカンで注目されるようになっていたのです。
特に彼の代表作といえるのが、15年の歳月をかけて描いた「日本二十六聖人」の連作掛け軸です。彼は、日本で最初に聖人の列に加えられた26人の殉教者の一人ひとりを描き、完成した作品群を当時のローマ教皇に献上しました。
長崎において「日本二十六聖人」はあまりにも有名ですが、その一人ひとりの人物像となると、信者にでさえほとんど知られていません。26人のうち、6人のフランシスコ会宣教師(スペイン人4人、ポルトガル人、メキシコ人)を除く20人は日本人の信徒たちでした。
彼らが殉教に至った背景には、豊臣秀吉によるキリスト禁教政策があります。秀吉の命令によって京都で捕らえられた彼らは、見せしめのために長崎まで歩かされ、1597年に西坂の丘で磔刑に処されました。
彼らが聖人の列に加えられたのは1862年のことです。そして1962年、列聖100周年を記念して、殉教の地である長崎駅前の西坂の丘に記念碑と記念館が建てられました。盛大な祝賀行事が行われたこの時、私はまだ中学生でした。
その二十六聖人を描いた掛け軸がバチカンに所蔵されていると知り、私は無性にその絵が見たくなりました。何とか画像だけでも手に入れられないかと方々を探し、ついに京都の司教様からその写真データをいただくことができました。小さなデータでしたが、それをもとに実物大のレプリカを制作し、当時の浦上キリシタン資料館で展示しました(現在はカトリック玉造教会で展示中・図②)。すると、そこから思いがけない展開が始まったのです。
掛け軸の現状
まず、聖虚のご遺族が見つかりました。そして、掛け軸の現状について驚くべき事実を知らされることになります。掛け軸は1931年に海を渡り、バチカンの民族博物館(現在のバチカン美術館の一部)に収蔵されてから100年近く経過しています。湿潤な日本の気候の中で生まれた掛け軸は、乾燥したヨーロッパの気候に耐えられず、深刻な劣化が進んでいるというのです。2000年頃、その状態に気づいた日本人関係者が修復を試みましたが、莫大な費用がかかることから計画は頓挫し、未完のまま現在に至っているとのことでした。それからすでに四半世紀近くが過ぎ、劣化はさらに進んでいます。
この状況を何とか打開しようと、大阪の枢機卿を中心に「一般社団法人 日本二十六聖人聖画等プロジェクト」が立ち上げられ、バチカン美術館への働きかけが始まりました。
その後、コロナ禍による中断など様々なことがありましたが、2025年の大阪・関西万博が大きな転機となりました。この万博を機にバチカン美術館が出展するのに合わせ、二幅の掛け軸が一時的に里帰りすることが決まったのです(図③)。

「石の上にも三年」と申しますが、私が初めて聖虚の聖母子像に出会ってから、もうすぐ7年が経とうとしています。活動はまだ始まったばかりです。資金、修復方法、そして交渉など、乗り越えるべき困難は山積みですが、皆様のご協力をいただきながら、必ずやこのプロジェクトをやり遂げて、日本の貴重な文化財の保存の一助となりたいと願っています。
関東甲信越北陸支部
岩波智代子