ネオンの発明者はフランスのジョルジュ•クロードですが、ネオンが日本に渡来してきたのは大正初期のことです。以来日本での研究開発が始まり、大正15年の夏に初の国産のネオンサインがお披露目されたとされてます。
その制作者は東京電気株式会社の技術者たち。いまの東芝の前身の会社です。この国産初のネオンは日比谷公園で開かれた東京市納涼大で飾られたもので、デザインは男の子と女の子が向かいあってシャボン玉を吹き、その玉の輪の中に東京市納涼会の文字が入っているという、なかなか凝った意匠だったそうです。
これ以降、国内のネオン技術は飛躍的な発展を遂げ、2000年頃までは日本の経済発展を象徴するかのように巨大なネオン広告が都市部を明るく照らしました。当時は今のようなLEDビジョンが存在せず、広告板いっぱにカラフルなネオン管をびっしりと敷き詰めて画像を表現し、そこに点滅装置を組み込んで動きのある映像パターンを作り出すという手法でした。主要都市ではナショナル企業の広告塔が競い合うように林立し、光の洪水のごとく夜の街を照らしていた時代がありました。しかしその後は経済成長の停滞と新しい技術の台頭により巨大なネオン広告は次々と姿を消すこととなります。
現在はネオンが持つ魅力が再注目され、LED照明でも再現されるほどの人気です。そのようななか従来のガラス管で作られたネオンにも注目が集まっています。ネオンの大量消費時代は既に過去のものとなり、いまは商店のシンボルとして、アートや装飾として、一品一品が丁寧に大切に作られているものが多く見られます。
来年2026年はネオンサインの日100周年を迎えます。この機会に街の様子を是非観察してみてください。素敵なネオンサインとの出会いがあるかもしれません。
(写真は昭和2年発行の東京電気株式会社の広報誌「マツダ新報」に掲載されているもの。東芝ライテック(株)のホームページより)

