ネオン探しの旅

写真集『NEON NEON』

写真家 中村治

2021年12月21日初版
編著 ニホンノネオン研究会
写真 中村治
発行人 大和田洋平
発行所 LITTLE MAN BOOKS
本体 2,700+税
判型 菊判 ソフトカバー

<INTERVIEW>
横山幸宣(アオイネオン)/荻野隆(アオイネオン)/
はらわたちゅん子/赤塚りえ子(アーティスト)/
亀田和美(協和電子株式会社)/酒蔵力(居酒屋)/
千原徹也(アートディレクター)/高橋秀信(スマイルネオン)

写真家 中村治

広島生まれ。成蹊大学文学部卒。『移りゆく時代の変化に於いても、固有の価値を持ち続けるもの』をテーマに作品を撮り続けている。

ロイター通信社北京支局の現地通信員として写真家のキャリアをスタートする。坂田栄一郎に4年間師事。2006年独立以降、東京を拠点としつつ、各地で人物と風景を中心に撮影を続けている。

中国福建省の山間部に点在する客家土楼とそこに暮らす人々を撮影した写真集、『HOME-Portraits of the Hakka』(LITTLE MAN BOOKS 刊)にて、2020年、第39回土門拳賞最終候補、第20回さがみはら写真新人奨励賞受賞。

公式サイト

ネオンのガイドブック

昨年(2021年)年末に、東京周辺のネオンのある風景を撮り集めた写真集『NEON NEON』を発売しました。お陰様で初版は3ヶ月で売り切れ、増刷された後も、多くの方に手に取って頂いています。608ページもの厚さとなったこの本には、ネオンに関わる方々8人のインタビューもあり、読み物としても楽しめるようになっています。一般の方達にもっとネオンのことに関心を持ってもらいたい、という出版社の趣旨で、この本は『ネオンのガイドブック』と名付けられました。サイン業界に関わる読者の皆様に、ネオンのことについて語るのは恐縮ですが、なぜ私がこの本に関わるようになったのか、どのようにこの本作りに取り組んだのかを、お話させて下さい。

私自身、ネオンについて意識するようになったのは、この写真集の撮影を始めてからでした。正直それまでは、ネオンやサインデザインについて、全く知識はありませんでした。『LEDの普及や、東日本大震災後の電力不足等を背景に、日本中からネオンサインが消えつつある。まだ残るネオンを写真に収めませんか?』と、2019年の秋頃、この写真集を手掛けた編集者から声を掛けられました。それが今回のネオン撮影のきっかけでした。そして、その編集者は、アオイネオンの荻野さんに、ネオンの本を作ってはどうか、と提案されていたのでした。まんまとそれに乗っかり(笑)、2年間のネオン探しの旅は始まりました。

撮影にあたり、調べた限りでは、各地のネオンのある風景が収められた写真集や本は、過去に出版されていませんでした。ネット上で調べても、どこにどんなネオンがあるか、まとまった情報を載せている人も、ほぼいませんでした。『戦後間もない頃の銀座や、バブル期の歌舞伎町のネオンは凄かった』というような記載には何度も出会いましたが、それを写真で効果的に伝えているものにも出会えませんでした。(ただの勉強不足かも知れませんので、もし良いものがあったら、ぜひご紹介頂けると幸いです)。ネオンが華やかに東京の夜を飾った時代の姿を、まとめて伝えてくれるものに出会えなかったのが、とても残念に思えました。当時は夜の街のネオンは当たり前に存在するもので、わざわざ撮影する必要も感じられなかったのでしょう。

写真の大きな役割の一つとして、記録、という側面が有ります。その意味で、このネオン撮影は写真家にとって、とても魅惑的な題材でした。当たり前のように身の回りにあったものが、いつの間にか消滅している。ネオンの灯りの独特な魅力と、それが街を彩る様子は、文章だけではなかなか伝えることが出来ません。記録としての写真さえ残っていれば、その歴史を受け継いでいく事も出来るはずと、即席で湧き上がった勝手な使命感に駆られました。ネオンそれ自体だけでなく、ネオンがどう街々を照らすのか、その風景を撮り集めることで見えてくるものを形にしたい、と強く思いました。

歌舞伎町

先ず初めに私が向かったのは、新宿歌舞伎町でした。私にとっての歌舞伎町とは、高校時代、学校の外に、自分の知っている小さな世界とは、全く違った空間が広がっている事を教えてくれた街でした。

私の記憶の中にある歌舞伎町は、いつも眩いくらいのネオンで煌めいていました。

1980年代後半に高校生だった私は、サッカー部を早々に退部してしまい、日々時間を持て余し、 バイト先で出会った他校の友人と遊び歩くようになっていました。その彼等と集まるために、高校2年生から毎週金曜日の夜に、歌舞伎町のコマ劇場の裏手にあったディスコ『New York New York』に通い始めました。

当時、練馬に実家のあった私は、西武新宿駅から、歌舞伎町一番街の文字が煌めくゲートをくぐり、コマ劇場方面へと向かうのが、ディスコまでのルートでした。歌舞伎町に足を踏み入れると、そこは10代だった私には異次元の空間でした。様々な色に点滅点灯するネオンサインが足元を照らし、呼び込みの声やスピーカーから流れる宣伝文句や音楽が飛び交い、映画やドラマでしか見ることのなかった世界がそこにはありました。 高校3年生からは免許を取った友人の車に乗って、横浜本牧にあった『YOKOHAMA BAY SIDE CLUB』に通いました。倉庫を改装したような、シンプルな外観の建物がブルーのネオンで縁取られ、その中でピンクのネオンサインが光り、歌舞伎町とは違う、洗練されたカッコ良さを感じました。

大学時代は、コマ劇場東側の風俗店が立ち並ぶ通りの入り口にあった、DJブースのあるソウルバーでバイトもしました。まだお酒の飲み方も知らなかった私は、歌舞伎町のネオンに惹きつけられ、お酒をあおる人たちから、酒場の歓喜や悲哀に秘められた人生のドラマを読み取ろうとしていたのかもしれません。

記憶の痕跡

私の記憶の中にある夜の歌舞伎町や横浜のベイサイドは、ネオンで照らされた得体の知れない興奮と期待を湧き起こし、やり場のない想いを吐き出させる、妖しげであり、懐かしくもあり、近未来的でもあるという、複雑な光に包まれていました。ネオン撮影を開始するにあたり、私が最初に探したのは、その記憶の痕跡でした。先ず向かった歌舞伎町は、今でも色とりどりのネオンの光に包まれ、多くの人の思いを飲み込みながら、人々を惹きつけているのだろうと。

しかし、2019年末に訪れた歌舞伎町の街の光は、私が想像していた以上に淡白なものでした。ネオン看板の多くはLEDに置き換わっており、ネオン管から放射される厚みのある光に比べると、 どこか直線的で裏表のない、正直過ぎる光に感じました。歩き回って探し出せたネオンの数も少なく、ネオンの光に包まれていた歌舞伎町の記憶は、過ぎ去った時間の中にしかないことに愕然としました。

撮影を始めたばかりで、脳内での記憶と現実との間にある、大きなギャップに直面しました。そこで初めて、時代は大きく変わってしまったことを実感しました。ただ私が歳を取ったという話でもあるのですが、時代の変化はとても緩やかに進むので、いくら意識しても、その変容に日々気付くことは難しいのかもしれません。たまたま、私が高校生だった時間軸を起点に、今の歌舞伎町を眺めようとした時、30年以上の時を飛び越えて、初めてその変化の大きさに気づけた、ということなのでしょう。

また、私のネオン体験は私だけの個人的なもので、各世代、各個人にそれぞれの固有なネオン体験もあるはず。それぞれの世代を包括するネオン体験を詰め込んだ本にするには、とにかく多くの現存するネオンを写真に収めないといけない。撮影当初の歌舞伎町での体感は、そんな思いを強くさせました。

身近なところにも

もしかすると、もう撮影するには遅すぎたのではないか、という諦めにも近い感情を押し殺しながら、撮影を進めていきました。新宿、浅草、秋葉原、神田、有楽町、銀座、新橋と回っていくと、少なくなりつつはあっても、まだネオンを灯す店舗は探せば見つかることに気づき、少しずつ手応えを感じていきました。また、住宅街などにもネオンを掲げる店は数多くあり、八百屋や果物屋、スーパー、書店、理髪店、クリーニング店、銭湯などにもネオンは利用されていました。 学生時代から何度も通った下北沢の古着屋や、フィルムや機材を探して数えきれないほど買い物をした新宿のヨドバシカメラにも、ネオンが掲げられている事に改めて気付き、ネオンが身近にあっても、意識出来ていなかったことに驚きました。ネオンサインと繋がっているのは、夜の飲食店街、歓楽街ばかりだと思っていた自分の視野の狭さにも気付かされました。

ネオン探しで街を歩き回っている中で感じたのは、ネオンを看板に掲げた店の多くは、10年、20 年、30年と続いてきた老舗が多い、ということでした。それはきっと、LEDの普及や震災後の省エネ推進などによって、ネオンの新設が敬遠されたため、この10年ではあまりネオンが使われてこなかった証拠なのかもしれません。

ネオン撮影を開始したばかりの2020年春、街はコロナに見舞われました。飲食街はシャッター街のようになり、閉店するお店が相次ぎました。また時短営業で20時にはお店が閉店し、夏季は日没が遅いので、ほとんど撮影出来る時間がない、という状況にも直面しました。コロナ禍で私自身の撮影の仕事も激減し、ネオン撮影にかける時間が多く出来たのは、本作りには幸いしたのかもしれません。ですが、街からネオンが消えていく様を見るのは、とても他人事とは思えず、閉店してネオンが取り外された壁に、長年のネオンの熱で煤けた跡を見つける度に心が痛みました。写真集にはコロナ禍で閉店を余儀なくされたお店のネオンも数多く掲載することとなってしまいました。

懐かしいネオンから、新しいネオンへ

そんな中、街の変化に気付き始めたのは去年(2021年)の春くらいからでした。ネオンを掲げたお店に限らず、多くの店がコロナ禍で閉店していきましたが、空き店舗を新たに借り受けた、新規開業した店舗の多くに、新たなネオンが灯り始めました。その後、短い間で原宿、渋谷、中目黒、 下北沢などを中心に、若者が多く集まる街にネオンが急増していきました。

お店の人達に聞くと、ネオンブームとも言えるその流れは3年くらい前から、既に始まっていたというのですが、去年から一気にそれが加速した印象を受けました。近年の平成レトロブームや、韓国でのレトロブームの影響なども大いにあるようです。また、アオイネオンさんが手掛けてこられた『大ネオン展』など、今までになかった新しい形でのネオンの普及に繋がる活動が、ここにきて浸透してきた証拠でもあるのでしょう。

懐かしいネオンから、新しいネオンへ。という意味を込めて、今回の写真集のタイトルを『NEON NEON』としました。私の個人的な過去のネオン体験を手掛かりに始めた撮影でしたが、2年間で目まぐるしい街の変化を目撃し、思ってもみなかった場所に着地したように感じました。幸か不幸か、ちょうど私は時代の変化の狭間を体験出来たように思います。

今回の写真集の撮影を通して、他に代えのない固有の価値を持ちものは、時代が巡っても、その形を変えながら、新しい世代に受け入れられていくことを実感しました。そのことは大きな可能性を持つもので、今回の撮影で得た気付きは、私自身の今後の活動にも影響を与えてくれる予感があります。

サイン業界の皆様が、長年手掛けてこられた東京周辺の街々を、撮影の場とさせてもらってきました。その意味で、皆様には大変お世話になりました。この場をお借りしまして、感謝申し上げます。ネオン次回作含め、都市の風景を記録していこうと考えております。今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。

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