私、ただのネオン好きな者でして、曲げも配線もできませんし、看板屋であってもネオンのお仕事を受注することすら叶いません。でもなぜか好きなんですよね、ネオンが。商売には繋がらず、趣味としてはどうなのかなぁ…という感じで日々悶々と過ごしておりましたところ、ふと思ったのです。「そういえばネオンの日って、無いよね」
一応ネット検索してみましたら、それらしいものはない代わりに、〇〇サイネージの日というものがちらほらと。調べを進めると、日本記念日協会なる組織が存在し、記念日認定を有料で行っていることを知りました。これまで同協会が定めた記念日は数多く、なんと2000件を超えているというではないですか!なるほど、お金を出せば何でも記念日にしてくれるのね。因みに記念日に認知されているものと、同協会が後から申請を受けて認定したものの2種類があるということを付け加えておきます。
ネオンには立派な歴史があるというのに、なぜ記念日を設けなかったのか!と内心憤りつつ、それでは金に物を言わせて設けてしまえ、ということで早速仕事に取り掛かることにしました。
まず大切な点は、ネオンの日をいつにするかということでした。屋外広告の日は1973年に屋外広告物法が国会で可決された9月10日。いい夫婦の日は11月22日で語呂合わせ。11月11日は形状から連想できるポッキー・プリッツの日。これらの中ではやはり何かしらの史実に基づいた日がいいのでは、ということでネオン関連の資料を漁ってみました。そこで目に留まったものは、国産ネオンの初点灯です。海外から日本へ最初にもたらされたネオンは諸説あり、年月が不明確ですが、国産ネオンに関する記述が幾つか見つかり、これだ!と思いました。
時は大正15年7月、東京の日比谷公園で開催された納涼会の会場に国産ネオンが初めて点灯したという記録が残っています。ん?大正15年は西暦1926年…三年後が100周年?もうこれ以外にないな、ということで独断即決。あとは当時の新聞記事を調べて、納涼会の開催日を確固たる証拠として押さえるだけ。
で、行ってきました国会図書館。慣れない入館手続きやら検索やら資料印刷やら、3時間くらい格闘してきました。その苦労のかいあって入手できた大正15年の東京朝日新聞、7月15日の朝刊に「今夜から日比谷と芝にいよいよ開く納涼大会」という記事を発見したのでした。残念ながら記事にはネオンのことは書かれてませんでしたが、「光の舞台」と称した祭典であったらしく、きっとこのためにネオンが設置されたことと想像します。因みに大正時代の新聞記事があまりにも面白く、3時間の内の大半を使って読みふけってしまいました。
さて、そんなこんなで証拠が揃ったのでいよいよ申請です。直前で半ば強引に理事会の承認を得て、審査を待つこと数日。協会のお偉いさんから「ネオンの日」では審査が通らない可能性が大きいので「ネオンサインの日」(通称ネオンの日)ではどうかとアドバイスを頂きました。理由は、ネオンは元素記号でもあるため、趣旨と違った意味も含まれてしまうからとのこと。個人的にはサインに限定されることなく、ネオンを広めたい思いが強かったのですが、審査で落ちたら元も子もないということで、「ネオンサインの日」という正式名称で最終的には落ち着きました。
ここまで長々と書き連ねてきましたのでそろそろ終わります。しかし、ネオンサインの日は定めて終わりではなく、これから活かしていくスタートラインだと考えています。5月に開催された第55回通常総会・軽井沢大会では、サイバーおかんにポスターをデザインしてもらいました。記念日の7月15日は目前であり、毎年やってきます。2026年は100周年です。皆さんでネオン、協会、業界を是非盛り上げてまいりましょう!
NeonTuber